[ゲーム以外]お花見 の代わりと言っては何ですが
屋外ではないお花見
桜の便り
管理人(Yayoi Kisaragi) 3.31.2020
例年にない暖冬であったせいか、今年は桜(ソメイヨシノ)の開花が全国的に早かったようです。
とはいえ、今年は、目に見えぬ自然災害の拡大により、多くの人々が恒例行事を自粛されているようです。
かなり前に、管理人が「春のイラスト」として作成したものをご紹介しておきます。
見出しにある通り、ゲームとは全く関係ありません。
また、キャラクタは既存のものですw
作成当時の状態そのままで、ここにアップするために改めて修正などはしませんでした。
イラストの閲覧がリアル行為の代替手段として機能するかどうかは不明です。それはご容赦願います。
ネット上に大量にある画像を紹介しても良いのですが、ページを開くのが重くなるかと思いまして、自前のものを1枚だけです。
振り返れば、今年に冬はおでんをあまり作りませんでした。大根の出来は良好だったように思われます。
まあ、ごゆるりと。
蛇足 付記
記事とは特に関係ありません。記事を作成中にちょっとだけ思い浮かんだことです。補足ですらありません。
管理人自身は、毎年「飲食をともなう花見」というものをしません。
最後にそれを行ったのが、厳密にいつだったかも覚えていません。
また、複数人で花を愛でにどこかへ出かけるということもしません。特に理由はありません。
幸いなことに、咲いた花はやがて散ります。来年もまた咲くでしょうが、それはおそらく同じものではありません。
また、その花を咲かせる木もやがては朽ちます。それは、桜にとどまりません。
生命全てに及びます。
つまり、人もいつ散るかは誰にもわかりません。幸か不幸か。年齢、性別、職業にかかわらず。
スケジュール管理は便利ですが、これには適用できません。人工的なものに囲まれて生活しているとつい、このことを忘れてしまいがちなことです。ゲームブログの管理人が言っても説得力はありませんが。
朝(あした)に紅顔ありて、夕べに白骨となれる身なり
管理人は厳格で篤い仏教徒ではありません。ただそれが「生きていることの証」であることは分かります。そして、私自身はそれが、幸不幸でいえば、まちがいなく「幸」だと考えています。
いつか来る終わりに際しては、「当事者」は、弔問や弔辞、あるいは読経をいただけます。ただし、これらは基本的に残された人のためのものです。
故人に敬意や感謝、場合によっては謝罪の言葉を述べるのであれば、生前に行うものです。
生きている人に向けられる言葉は本当に「活きた言葉」になります。その根本にある気持ちも含めて。
身内の葬儀に参列くださった方々の振る舞いを見て、そう思いました。相手と私が生きているうちに何かをしておきたものです。相手が、「遠いどこか(と一般的には考えれらますが)」に行ってからでは遅いものです。去る者は日日に疎し。
もっとも、多くの人が、身近な人に改まって言葉を伝えることを避けたがります。
日常はずっとは続かないから日常といいます。
さよならするのはつらいけど
じかんだよ しかたがない
つぎのときまで ごきげんよう
さて、みなさん、春も夏も秋も冬も、現世代機も次世代機も、あるいはもっと先においても、健康で楽しいゲームライフを。たまに徹夜できるくらいの健康を保ちましょう。それが健全がどうかは不明ですが。
管理人が健康でやる気があるうちは、このブログは更新を続けると思われます。
たぶん、おそらく(笑)
まあ、明日も生きていることを誰かが保証してくれるわけではありません。幸い、この記事は今日公開できたようです。
さて、長々と書いた割には何の参考にならなくて申し訳ありません。
蛇足と断っておいてよかった。
3月も今日でおしまい (´・ω・`)/~~