[解説]コーエーテクモゲームスの歴史 コーエー編
コーエーテクモゲームスは先月、その前身となった企業、『光栄』と『テクモゲームス』、それぞれの設立記念日を迎えました。
そこで、合併までの二つ企業それぞれの沿革を、大まかではありますが見てみたいと思います(関係者の敬称略)。以下、コーエーについてです。
沿革(創業からゲーム事業発展まで)
1978年7月25日
襟川陽一が、前年倒産に陥った家業を継ぎ、染料、および工業薬品問屋『光栄』を創業(栃木県足利市)。
1980年12月
パソコン販売、および業務用特注ソフトの開発を開始。
1981年10月
ゲームソフト第1作『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』を発売(メディアはカセットテープ)。
同時発売のソフトとして『投資ゲーム』、『地底探検』、『コンバット』、『ノルマンディー上陸作戦』がある。
1983年3月30日
『信長の野望』発売。大ヒットを機にソフト開発が専業に。
1985年5月15日
『蒼き狼と白き牝鹿』発売(PC-98版)。
1985年12月10日
『三國志』発売。
1988年4月
出版事業を開始。
自社製ゲームのガイドブック、小説、コミック、雑学書籍(歴史、競馬など)を発行。
1994年9月
恋愛シミュレーションゲーム『アンジェリーク』発売。
女性による女性のための作品は、業界初。
1997年2月
『三國無双』発売。シミュレーション以外の新たなユーザー層を取り込む。
沿革(株式会社コーエーテクモゲームス発足直前)
2008年9月4日
テクモとの経営統合の協議開始を発表。
2008年11月18日
テクモとの統合契約書を締結。
2009年4月1日
共同持株会社・コーエーテクモホールディングスを設立。
2010年4月1日
コーエーがテクモを吸収合併し、開発統括会社コーエーテクモゲームスが発足。
当初は、(新)コーエー、(新)テクモ、2つの開発体制。
2011年4月
開発部門の再統合。