[Assassin’s Creed Valhalla]イングランドの歴史とヴァイキング
イングランドの歴史とヴァイキング
あるいはウェセックス王国
管理人(Yayoi KISARAGI) 2020.5.1
先日、『Assassin’s Creed Valhalla』が公式発表されました。
ゲームの詳細はまだですが、主人公であるヴァイキングがウェセックス王国と戦うという設定です。史実では9世紀半ば以降です。そのウェセックス王国とは何か、大雑把ではありますが史実を少し学んでおきましょう。
目次はつけておりません。できれば上から順にどうぞ。
なお、ヴァイキングについての簡単な知識は、過去の記事をご覧になっていない方はあわせてどうぞ。
グレートブリテン島と七王国
中世(5 – 9世紀ごろ)、グレートブリテン島には、「アングロサクソン七王国」と呼ばれる、7つの王国がありました。
- ノーサンブリア王国(Kingdom of Northumbria)
- マーシア王国(Kingdom of Mercia)
- イースト・アングリア王国(Kingdom of East Anglia)
- エセックス王国(Kingdom of Essex)
- ウェセックス王国(Kingdom of Wessex)
- ケント王国(Kingdom of Kent, White horse of Kent)
- サセックス王国(Kingdom of Sussex)
各王国で様々な歴史を持ちますが、概ね、5世紀ごろには国が興りました。
これらの王国は、長く覇権争っていました。以下の地図は9世紀のもので、全ての王国が示されているわけではありません。ただ、この記事の解説では、とりわけ地図中の
- 赤い領土 ウェセックス王国(Wessex)
- 紫の領土 デーン人=ヴァイキング(Danes)
- 青い領土 マーシア王国(Mercia)
が、重要となります。
このような政治的状況に終止符を打ったのが、ウェセックス王国のエグバート王です。825年、ブリテン島(カレドニアを除く)を事実上統一したことになっています。もっとも、各王国の名はその後も残り、内政は続きます、特にマーシア王国は。
また、上の七王国が台頭するまでに無数の小国家郡が存在したのも事実です。
当時のブリテン島に住んでいた人の多くが、アングル人(アンゲル人)です(5世紀以降)。
最終的な統一という意味では、10世紀以降となりますが、その領土は、「アングル人の土地」という意味で「イングランド」と呼ばれることとなります。
現在、正式には、グレートブリテン及び北アイルランド連合王国(イギリス)であることはよく知られています。
ウェセックス王国の成立と台頭
ウェセックス王国は6世紀に成立しました。そして、イングランドとして国の形成される9世紀まで続いています。
この王国の祖は、ゲウィセ(ゲウィサエ)とされています。これは「信頼の置ける者」という意味です。
これらを含む、イングランドの七王国時代の出来事をまとめた記録は、『アングロサクソン年代記』によるものです。この年代記は、後述のアルフレッド王の時代に作成されましたが、何分、信憑性が低いのも事実です。記述は矛盾が多いことが指摘されています。とは言え、この時代を知る上での貴重な資料でもあります。
さて、研究によると、この国の興りは538年頃だったとされています。ただ、記録が少ないため厳密ではありません。
640年代後半ないし650年代前半、ウェセックス王国は、マーシア王国の支配下に入ることとなります。その後もウェセックスの王位自体は継承されていますが、マーシア王国による支配は長く続きました。
ウェセックス王国の台頭が始まるのはエグバート(在位: 802年 – 839年)の治世です。825年、マーシア王国のベオルンウルフ王を戦で撃破し、支配から解放します。これにより、イングランドにおける覇権を手にしたことになります。
さらに、829年には、エグバートはマーシア王国を征圧。ウィイラフ王を追放します。つづいて、ノーサンブリア王国の支配権を確立させました。
翌830年には、追放したウィイラフが帰還しマーシア王国は再び独立してしまします。ただ、南西イングランドに拡大したウェセックス王国の領土が侵食されることはありませんでした。
ウェセックス王国とヴァイキング
領土を拡大したウェセックス王国でしたが、835年以降、たびたびのヴァイキングの攻撃を受ける事態となりました。
晩年のエグバートはそれに対抗します。
前出の通り、839年、エグバートは死去し、息子のエゼルウルフが王位に就きます(在位: 839年 – 858年)。その後は、エゼルウルフがヴァイキングとの戦いを指揮します。
以下は、そのころの領土図です。また、地図の色分けで特に重要なのこの2つです。
- ピンク デーン人(ヴァイキング)、ノルウェー人
- 黄土色 ウェセックス王国
851年には350もの軍船を乗せた大軍がテムズ川河口に現れました。その大軍はマーシア王国のベオルートウルフ(840-852)を打ち破ったため、ウェセックス王国にも侵出してきます。
しかし、エゼルウルフ王はこれに打ち勝ち、侵攻を食い止めます。
ただ、その後もヴァイキングによる急襲は続くこととなります。
そしてアルフレッド王
871年、エゼルウルフ王の五男アルフレッドが王位を継承します。兄であるエゼルレッド王がヴァイキングとの戦いで傷を負い、その悪化により死去したためです。
875年にウェセックス勢はヴァイキングの襲撃に対して、初めて海戦で勝利を収めました。
翌876年には、スオニッジの海戦でヴァイキングの戦艦120隻を沈めるという大勝利を得ます。
しかし、その後もヴァイキングとの戦いは続き、れっせいにたたされることもありました。
結局、878年の戦において勝利を収め、ヴァイキングとの間に「ウェドモーアの和議」が締結されます。
和議が締結されたため、アルフレッドは内政を強化します。
軍船を建造し、軍隊を2交代制にして常時臨戦態勢にさせています。また、海上で敵を迎え撃ち、上陸を阻止するための海軍力の適正運用を行った初めての君主です。よって、しばしば英国海軍の父と称されています。
さらに、前出の『アングロサクソン年代記』を取りまとめる作業において、アルフレッドはその指揮を執っています。これは当時としては大掛かりな文化的作業であり、ウェセックス王国の政治的な優位性が上昇しました。
結局、890年以降もイングランドではヴァイキングとの小競り合いが続くことになります。ウェセックス王国においては、常にヴァイキングを撃退することができていたようです。
899年アルフレッド大王が死去。
以上のような功績のため、イギリスの歴史において大王と称される君主であり、現在でも称えられています。
過去記事参照
[Assassin's Creed Valhalla]ヴァイキングについて 少しだけ学ぶ
蛇足 後記
というわけで、史実では、アルフレッド王はかなりの強キャラです。ゲームではどう描かれるのでしょう。
そして、ヴァイキングによる形勢逆転はいかに。詳細はさらなる公式発表を。
上で説明している通り、デーン人(ヴァイキング)は当時、グレートブリテン島に「居住」していました。
ただ、リードディレクタのインタビューによると、プレイヤはノルウェーから侵攻するようです。この辺りは、続報でより明確になると思われます。
さて、「固有名詞が覚えられない」と言われそうですが、そこはご容赦を^^;
楽しみですなヽ(・∀・*)ノ