[考察・議論]ホラーゲーム、やるか見るか
Push Square の記事を翻訳いたしました(個人名は原文のままです)。
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記者による主張
ホラーゲームをするのは好きではありませんが、見るのは好きです
Push Square の住人はすべてを告白します
Stephen Tailby Sat 2020.10.31 17:00
ハロウィーンが近づくと、私たちは皆、お気に入りの不気味な怖いゲームや映画について考え始めます。この年中行事は、いくつかのお気に入りのホラー作品を再び楽しんだり、新しいものを発見したりするのに最適な口実です。
ただし、あなたが私の同士であるならば、カボチャ(jack-o’-lantern)を彫るところまで実行しても、(結局のところ)かなりの量のスイーツを食べて、賢明な時間にベッド横になることを望んでいます。
どんな形であれ、私がホラーの「大ファンではないこと」はまったく秘密ではありません。進んで恐怖を体験するなんて。
私がこのジャンルを最も深く掘り下げたのは、おそらく悪夢のような厄介なものでいっぱいの『Bloodborne』であり、それでも私はゲームを完了できませんでした。また、私はキノコのゾンビとの死闘を繰り広げる人間性あふれるドラマである『The Last of Us』シリーズのファンでもあります。
しかし、これらの作品は恐怖が主軸にあるわけではありません。私は子供の頃から弱虫で、『Alien: Isolation』や『バイオハザード 7』のようなものをプレイするという考えには至りません。それは私のためのゲームではありません。
そしてそれらは、ええ、結構です。
しかし、ここ数年で私はホラーとより複雑な関係を持つようになりました。このジャンルは YouTuber やストリーマに非常に人気があり、正直なところ、私はその傾向を理解しています。他の誰かが怖いゲームをプレイするのを見ると、恐怖の要因が劇的に和らぎます。
これは間違いなくホラーゲーム(の開発者)が提示するものを台無しにしてしまいます。が、このような形で、それらを代償的に経験することは、私の病的な好奇心を満たす方法であることは否めません。
例を挙げると、 PS4 でリメイクされ昨年から非常に有名な『バイオハザード 2』の全体を誰かがプレイするのを見ました。そうすることで、ホラータイトルによく見られる緊張感と恐ろしいシナリオを心底味わいました。
さて、自分でプレイできたでしょうか?(そうだったとしたら、)恐らく、その最中に、私は恐怖感と自分が真相(結末)を追い求めているという考えを楽しんではいなかったでしょう。私のために「それをプレイしている誰か」は、セーフティネットのようなものです。つまり、彼らの解説はある程度の妥当性を提供し、襲いくる恐怖感の強度は私が対処できるレベルに下げられます。
このように(間接的に)ホラーゲームを体験することは、多くのゲーム愛好家から見れば冒涜以外の何物でもないということを十分に理解しています。が、本当に楽しんでいます。誰かがプレイするのを見ると、他の方法では無視してしまう素晴らしいゲーム(の詳細・演出等)を垣間見ることができます。
私は、直接経験することを逸していると認識しています。しかし、私はリラックスし、楽しんで、そして自身の喜びのためにゲームをします。
神経を引き裂かれるなんてとんでもない。
怖いゲームを見るとプレイにつながる可能性があると思います。
現時点ではありそうもないようですが、おそらく次のハロウィーンまでに、他の人たちと同じように『Silent Hills』のプレイを予定に入れておきましょう。本当に再起動されるならば。
あなたはこのことについてどう思いますか?ホラーゲームに対する(弊社スタッフの一人である) Stephen のスタンスを共有していますか?
YouTube や Twitch で多くのゲームを視聴していますか、それとも大したことではありませんか?
以下のコメント欄でいくつかの恐怖譚を教えてください。
蛇足 後記
YouTube や Twitch に関しては、ここでは言及しません。開発会社、ファン、動画配信者、その視聴者で、思惑も意見も全く異なります。
さて、恐怖について。
これは、人類が求めて止まないものかもしれません。ゲーマに限らず。
記事にある『Bloodborne』は典型的ともいえるでしょうか。このゲームは、死線をかいくぐる緊張感と、人智を超えた世界における恐怖をあなたに差し出します。
悪名高き「ガスコイン神父」がそのいい例でしょか。あれは、あの状況、あの敵対者ゆえに味わえる「全て」です。プレイヤとほぼ同形同大の敵であるにも関わらず、強大に感じられます。そして最たる方法であなたを存分に苦しめます。
このように完璧な形で恐怖と緊張感を体験したならば、人は虜になります。あるいは挫折します。
もっともこのゲームは、何回死んでもいいとあなたに救いの言葉をかけてくれます。いつでも。フロム作品に限らずいわゆる「死にゲー」全般でそうですが。優し世界。
ちなみに、管理人は初プレイ時に、「オルゴール」の使い道について知らなかったことは内緒にしておきましょう。何回やり直したかも。結局、二回目以降も活用しませんでした。いざ、正々堂々と参らんw
この記事のテーマである「恐怖」と、一般的な緊張感は若干ニュアンスが違いますが、結局、アドレナリンというキーワードでくくっていいのかもしれません。科学的考察はさておきますが、どちらも手に汗握ります。あなたの心拍数の上昇はいかほどですか。
それは「ヒト」の、古き記憶を呼び覚ましてくれるからかもしれません。
求めて止まないわけです。
そういう意味では、現世代機において既に多くの方が、「息を飲むほどの没入感」を何度も味わっておられるでしょうね。
次世代機は、それを軽く超えてくる(場合によっては目と耳と手に同時に?)のではないかと想像すると、ちょっと気が変になりそうです。とは言え、なかなか手に入らなことが明らかなので、もうおかしくなっているのかもしれません。こうして文章を書きながらも。ときどき、DualShock 4 が、DualSense に見えます。
ああ。
後記が長くなってしまいました。
というわけで、恐怖について考えるのは楽しいですね。
それに取り込まれない限りは。それとも逆かな?
ああ。