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[解説]元寇について少し学ぶ モンゴル帝国編

 

 

元寇について少し学ぶ
モンゴル帝国編


管理人(Yayoi KISARAGI)  2020.7.14


 

 待望の『Ghost of Tsushima』は、日本史においては「元寇」として知られる出来事に基づきます。
 その元寇とはなんだったのか。
 まずは直接のきっかけである、モンゴル帝国について少し学んでみましょう。いかに、目次がありますが、上から順(時系列)に読んでいただくと理解が深まるかと思います。

 

目次

 


モンゴル帝国とは

 モンゴル帝国(元朝)とは、1206年、チンギス・カンによって創設された遊牧民の国です。モンゴル高原のを中心に興りました。当時は遊牧民の中に多数の集団(部族)がありました。それらが皇帝の名の下に、事実上、一つにまとまったのです。
 初代皇帝チンギス・カン。その時代から勢力を拡大してゆき、最盛期の領土面積は、約3300万km²でした。
 そして、最終的に後金(中国の「清」の前身にあたる国家)に滅ぼされるまで存続しました。

 

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 つまり帝国の興亡は、1206年 – 1634年までです。
 ただ、チンギス・カンの末裔と称する王家の人々は20世紀に至るまで中央ユーラシアの各地に君臨し続けました。

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チンギス・カンとは

 チンギス・カンの生涯に関してはモンゴルの伝説的な歴史書『元朝秘史』に描かれています(原書自体は現存せず)。

 

 

 チンギス・カンは、イェスゲイ・バアトルの長男として生まれました。なお、幼少から、モンゴル統一直後までは、「テムジン」を名乗っていました。
 生没は、1162年5月31日 – 1227年8月25日とされていますが、誕生に関しては厳密ではありません(諸説あります)。

 

 父であるイェスゲイは、氏族(キヤト・ボルジギン氏)の祖で、有力な戦士でした。しかしイェスゲイは、テムジンが幼い頃に亡くなります。それを機に、父に仕えていた他の氏族たちは離れてゆきます。
 そのような状況にあっても、母は幼い子供達をりっぱに育てます。

 

 テムジンが成人後、一部の部族はテムジンが脅威となることを恐れ、彼の身を捕らえます。この時、妻ボルテが略奪されてしまいます。
 しかし、テムジンの盟友やトグリル・カン(父の盟友)、ジャムカ(ジャジラト氏の首長)の助力もあり、妻を奪還することができました。

 

 その後、テムジンは彼らとともに氏族の勢力を拡大してゆきます。また、勢力を拡大することで、かつて父に仕えていた戦士たちも、テムジンの下に集ってきました。

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モンゴル帝国誕生

 長い年月をかけ、テムジンはモンゴルでもかなりの実力者となりました。
 そして、1205年。テムジンは高原内に残った最後の大勢力

  • ナイマン(西方)
  • メルキト(北方)

を破ります。さらに、自身を裏切ったジャムカを捕え処刑しました。また、オングト(モンゴルの南方の勢力)は従属しました。
 これにより、事実上モンゴル高原の遊牧民を統一しました。

 

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 その際テムジンは、モンゴルのシャーマンから捧げられた「チンギス・カン」という名を採り初代皇帝に即位します。
 「カン(カーン)」とは、部族の君主を表す称号です。
 また、「チンギス」という言葉の意味に関しては諸説あるため、明確ではありません。

 

 なお、二代目以降のモンゴル皇帝は大カアン(または、大ハーン)という称号を採用しました。

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モンゴル帝国と歴代皇帝

 モンゴルの歴代皇帝(5代目まで)は以下の通りです。うち、モンケとクビライは、チンギス・カンの四男であるトルイの息子たちです。

  • 初代 チンギス・カン 1206 – 1227年
  • 二代 オゴデイ(チンギス・カンの三兄) 1229 – 1241年
  • 三代 グユク(オゴデイの長子) 1246 – 1248年
  • 四代 モンケ(トルイの長男) 1251 – 1259年
  • 五代 クビライ(トルイの四男) 1260 – 1294年

 

 以上から分かるように、元寇、つまりモンゴル帝国による対馬を含む日本への2度の侵攻は、クビライの時代でした。なお、当時の日本の執権は北条時宗です。

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現在のモンゴル

主要なデータを見てみましょう。

  • 首都 ウランバートル
  • 公用語 モンゴル語
  • 人口 約 3,200,00人

 国土の面積は、1,566,500km²ありますが、人口密度は、2人/km²です。なお、海に面していない国です。
 地理と国旗は以下の通りです。

 

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 日本とモンゴルは1972年2月まで、国交(親交)はありませんでした。
 日本の公人による初のモンゴル訪問は1989年4月のことです。宇野宗佑外務大臣が要人として迎えられました。
 その後、1990年3月にドゥマーギーン・ソドノム首相による日本初訪問がありました。さらに、1991年8月に海部俊樹首相が公式訪問しています。

 

 また、ご存知のように、1990年代以降はモンゴル人力士が多数来日、活躍し、多くの大相撲ファンを魅了しています。

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モンゴルとゲーム

 日本では、かつて光栄(現: コーエーテクモゲームス)は『蒼き狼と白き牝鹿』(1985年7月)を発売しています。
 プレイヤはチンギス・カンとなりモンゴル帝国を中心にユーラシア大陸統一を目指します。
 シリーズ作として4作品がリリースされています。なお、2作目のサブタイトルには「ジンギスカン」とあります。

 

  • 蒼き狼と白き牝鹿
  • 蒼き狼と白き牝鹿・ジンギスカン
  • 蒼き狼と白き牝鹿・元朝秘史
  • チンギスハーン・蒼き狼と白き牝鹿IV

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管理人からひとこと

「どこが少しや」とのクレームはご容赦願います^^;
これでもかなり要約した方です。
また、北条時宗に関しては、解説では取り上げません。あしからず。
さて、以下のコメント欄で領土を拡大しましょうw


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